1. 出会い -憧れの生活-

これは、年収200万円で、30代で1億円を貯めた実話を元にした小説です。
全8話:
1. 出会い -憧れの生活-
2. 教えられたこと -使うためではなく増やすために貯金する-
3. 貯金開始、お金を増やしていく秘訣
4. お金が貯まる人と貯まらない人の差
5. お金を貯めるという事-必需品を見直す-
6. 節約における勘違い-安物買いは節約にあらず-
7. 支出を減らした後は収入を増やすこと
8. ユンとの別れ-豊かな未来へ向けて-

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1. 出会い -憧れの生活-

雄一は駅の改札口を抜けてから、いつもとは反対側に道を曲がった。そこの階段を下りていくと駅前の花屋だ。
今日は妻の誕生日。
家とは反対方向に道を曲がったのは妻に小さな花束を買うためだった。

新婚ではあるが、幸せと希望一色に満ち溢れた生活ではなかった。妻の事は愛していたし、夫婦間にも何も問題はなかった。生活は順調、ごくごく普通のサラリーマンで仕事にもプライベートにも大きな不満があるわけではない。
それでも手放しで幸せ一杯の生活だと言えないのには理由があった。

雄一には夢があった。世界中を旅したい。
そんな誰でも1度ぐらいは考えたことのある夢。雄一自身も子供じみた夢だと思っていたし、実現させる計画を立てているわけでもなかった。

学生の時には何度か海外旅行にも行ったが、学生時代は暇はあるがお金がない。バイトで貯めたお金で行った海外旅行は、ごく普通のツアー旅行やアジアへのバックパック旅行だった。もちろん雄一は普通の旅行もバックパックスタイルも嫌いではなかったし、大いに自由な学生時代を楽しんでいた。

学校を卒業し、就職し、働いて、結婚し、何の疑問もなく平和に暮らしていたのだが、結婚半年後にとったハネムーン休暇で妻と海外旅行へ出かけた時、かつての「世界中を旅したい」という夢を思い出してしまった。

一生に一度の新婚旅行ぐらいは贅沢に、と考えての豪華な1週間旅。雄一はその旅行の余韻に取りつかれてしまっていた。

生活は順調、特に大きな不満もない人生なのに、どこか気分が浮かないのは、かつての自分の夢と、今の現実のギャップを意識してしまったせいだった。

しかし、夢と現実のギャップを意識したからといって、それをどうする訳でもなく、今まで通りに働き、今まで通りにお金を稼いで暮らしていたのだった。

考え事をしながら歩き、ふと視線をあげると目的の花屋の前についていた。雄一はその扉を開けて店内へ入っていった。店内には先客が1人。身なりのいい老人が花屋の店主となにやら話をしているだけだった。

この駅前の花屋には何度か来たことがあったが、先客がいたのは初めてのこと。雄一は、先客の老人の用事が終わるまでしばらく店内で時間を潰すことにした。

小さな店内には切り花を中心にディスプレイされていたが、基本的には花に興味のない雄一はすぐに手持無沙汰になってしまった。

ふと花屋の店主と初老の男性が話している内容が耳に入ったが、どうやらスイスの話をしているようだった。

『なんだ、花を買うんじゃないのなら早くしてくれよ。』

そう心の中で呟くと、まるでその心の声が聞こえたかのように老人が振り返った。

「ああすまないね、お客様かな。」

「え、ああいや…小さめの花束をお願いしようかと思いまして。」

「いらっしゃいませ。」
遅れて、店主も今気づいたように挨拶をした。

「じゃあユンさん、近いうちにまた…」

少しの間をおいて、老人が花屋の店主に別れの挨拶を切り出した。

「いや急いでるわけじゃありませんから、話終わってからで大丈夫ですよ。」

雄一も急かしたようになってしまい悪かったなと思い、心の中で呟いた愚痴の弁解をしたが、それでも老人は話を切り上げて、店主と雄一に上品にお辞儀をしてから店を出ていった。

雄一は少しばつが悪い気がしたが、謝る事でもないかなと思いなおし、店主に花束をお願いした。

アレンジの準備をしてもらっている間、横で待っていると、沈黙を嫌ってか今度は花屋の店主の方から話しかけてきた。

「これは奥様に?」

「はい。今日が結婚1周年なんですよ。」

「そうなの?じゃあ少しおまけして大きいのを作るわね。」

「ありがとうございます。きっと喜びます。」

テキパキと花を選んで、アレンジを始め、花束が見事に出来上がっていくのを眺めていると、また店主が尋ねてきた。

「ヨーロッパとか好きよね?」

「え?スイスですか?」

「スイスが好きなの?」

「いえ、さっきの男性とスイスの話をしているようだったので、その話ですか?」

「え?ああ違うわよ。奥様はヨーロッパとか好きよね?アジアが好きなら、花束をもっとアジアンテイストにアレンジしようかと思ってね。」

「え、ああ、はい。妻はヨーロッパの方が好きだと思います。」

小さくうなずいてから、店主は話を続けた。

「さっきスイスの話をしていたのは、あの人とスイスに行った時の話をしていたのよ。ああ、スイスに行ったといっても、2人で旅行に行ったわけじゃなくて…偶然同じクルーズ船に乗っていてね。寄港地のオランダからスイスまでの列車でも近くの席だったから仲良くなってたのよ。
それからちょくちょくこのお店にも寄ってくれるようになったの。偶然この近くに住んでいたのよ。」

「ああ、そうだったんですね。いやーでもスイスですか。いいですね!私も旅行は好きで…。それにしてもお花屋さんって結構儲かるんですね?」

雄一は店主のフレンドリーな応対に、つい不躾な事を聞いてしまったと思ってハッとしたが、花屋の店主は気にした素振りもなかった。

「ぜーんぜん。私は花が好きだからこの仕事をしてるだけだわ。」

楽しそうに花束をくるくると躍らせながらアレンジの最後の仕上げに入ったようだった。雄一は少し興味が湧いてきて、失礼ついでに聞いてやれと思い、続けて尋ねた。

「でも、えーっとユンさん?..は、クルーズ旅行ができるぐらいは稼いでるわけでしょう?」

と、先ほど老人が呼んでいた店主の名前を改めて口に出して、雄一は、ユンと呼ばれた店主の日本語がほんの少しだけカタコトなのに気がついた。
ユンという名前からしても、おそらく韓国訛りの日本語だろう。

「まさか。この花屋の稼ぎだけじゃ生活費にしかならないわよ。私も昔は普通に会社勤めをしてたからね。その時にお金を貯めていたのよ。」

「そうですか。私もサラリーマンですが、スイスには行けそうもありません….ははは、えらい違いですね。」

「きっとそんなに違わないと思うわ。普通にアパレル店の店員で、その後営業になったけど、それほど大きな会社でもなかったしね。
私、大学から日本に来て、卒業して、そのまま日本で就職したけど、当時はあんまり社会の事も分かってなかったしね。」

雄一は少しムキになって聞いてみた。

「じゅあご実家が資産家とか?」

「いいえ違うわよ。」

この質問にもユンさんは全く気を悪くしていないようだった。外国人特有のフレンドリーな気質なのかもしれない。と雄一は思った。

「簡単な事よ。お金を貯めるコツがあるの。」

「じゃあ俺にもぜひそのコツを教えてほしいですね。俺もサラリーマンですが、スイスへの豪華旅行には憧れますから。」

「はい。3000円です。」

「え?ああ、ありがとうございます。」

気付けば、花束が出来上がったようだ。雄一は財布から3000円を取り出しながらも、ユンさんに目くばせで話の続きを促した。

「もちろん教えてあげるわ。と言いたいのだけれど…ごめんなさいね。今日実は息子の誕生日なの。今から急いで帰らなきゃ。ケーキ屋さんが閉まっちゃうから。あなたも結婚記念日なんでしょ?」

雄一はハッとした。

「そうだ、早く帰らないと。せっかく会社を定時であがらせてもらったのに。」

雄一は花束と荷物を持ち直して、テキパキと店じまいを始めたユンさんに頭を下げてから背を向けた。
お店を出る所で

「ありがとうございました。またいらっしゃってね。」

と背中から声が聞こえた。